RIET(リート)とは

RIET(リート)について

RIET(リート)とは、Real Estate Inveestment Trustの略で、日本語では不動産投資信託と訳されますが、正確には、不動産に投資する事に特化した株式会社、つまり不動産投資法人の事を指しています。
不動産投資信託は、投資家から集めた資金をオフィスビル等の不動産で運用して、賃貸収益や売却益等から配当金として投資家に還元するというものです。
一般的な投資信託では投資家から集めた資金が株式や債券などに投資されますが、リートの投資対象は不動産という事です。
通常、株式会社は利益に対して、約40%もの法人税が課せられるのに対して、リートでは、利益の90%以上を配当すれば非課税になるという制度上の優位性があるので、不動産収益に対する二重課税を回避する手段として、また、有益な投資対象としてアメリカから広がってきました。

また、リートは、契約型と会社型という2種類に分けられます。契約型は一般的な投資信託と同様、運用会社が運用を指示して、信託銀行が資産を管理するという形態です。
一方会社型は、不動産投資を行う会社、投資法人が設立されて、一般的な企業と同じように株式市場に上場して、投資法人は株式と同じように投資口を発行する役割を持つというものです。リートの多くは、この会社型の形態を取っています。


土地を所有するという考え

いつ頃から"土地を所有する"という考えが芽生えてきたのか、そしてその概念がどのように変化していったのか、時を追いながら触れてみたいと思います。
昔、土地は地方の豪族・貴族・小国の王たちの自己権力を示す勢力圏図のような形で捉えられていました。「此処からあそこまでは誰々の勢力が治めている地域」等の意味合いで使われていたと言われています。
土地を財産(価値あるもの)として捉えるよりは「縄張り」「シマ」として捉えていたのでしょう。支配地内では、そこに住む民を使い農産物を生産し、地域を統治していました。

聖徳太子の没後、有力豪族であった蘇我氏が勢力を伸ばし時の権力を握りました。天皇への迫害を行い、政治を独占しましたが、中大兄皇子が中臣鎌足の協力を得、蘇我一族を倒し天皇中心の国づくりを始めました。ご存知、『645年の大化の改新』です。
この改新において、土地は「公地」であり民は「公民」であることが謳われました。その他に班田収授法・国郡国里・新しい税制などを定め天皇を中心とする中央集権国家を完成させました。
土地の価値(収益及び財産)を公が認め、公の民に貸し与えることから始まり、租税の見直し、財政の確立、政治体制の強化と進んでいくこととなります。


私有地のはじまり

奈良時代初期、農民の暮らしは昔と変わらず苦しいもので、課せられた重税や労役などが重くのしかかり、中にはその苦しさから逃れる為に田を捨てて逃亡する者も現れました。
この事は班田収授法の弱体化に影響していきます。農民のいない田は荒れ、収穫に悪影響を及ぼし、また支配層の不満や不安が体制の批判となり社会に混乱が生じます。
そこで国は、723年"三世一身法"を定め「開墾した土地について期間を定めて私有すること」を認めました。そして743年"墾田永年私財法"にて『開墾した土地の永続的な私有』を認めました。これにより貴族・豪族・有力寺社は農民たちを集め土地の開墾を行い、私有地の拡大に乗り出しました。この土地は『荘園』と呼ばれ、土地の私有化が本格的に開始されました。

支配層は国政を動かす立場であったため、多くの者が活動拠点を「都」に置いていました。そのため地方にある私有地(荘園)の運営管理を行う事ができず、別途、管理をする「見張る人」をたて、土地の開墾・耕作・収穫などの運営に就かせました。
荘園の誕生が社会の構造変化を生じさせ、「見張る(運営する)人」がいつの間にか社会の中に根付いたことから、土地を活用する考えが芽生えだしたのです。


不動産業の誕生

時の世は貴族の支配から武士の支配へと移り、乱世の中から1603年、徳川家康が江戸に幕藩体制の封建国家を打ちたてました。
260年もの長い間徳川の時世が続いたのは、国の統治システムが上手く機能しただけではなく、東海道・中山道など交通網の整備、江戸は統治で商売は大阪という経済システム等、社会基盤を整えたことに起因すると言われています。
社会が安定することで民衆の暮らしは豊かになります。特に江戸は商業の発展が目覚しく、地方で貧しい暮らしをしている農民らは自然と江戸に集中し、江戸の人口は増加して行きました。

当時は五人組と呼ばれる行政組織(地主・家主・農民)があり、互いに扶助・監視するシステムにより治安が維持されていました。
土地は武家・寺社が8割を所有し、庶民は2割程度に過ぎませんでした。しかし人口比率は武家・寺社と庶民の数は同等であったため、庶民は狭い土地に密集して暮らすことになります。そのため、"長屋(=賃貸)"が出現しました。これが『不動産業の誕生』と言われています。

このページの上へ戻る